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若いころから建築業に従事してましたが、体力的に難しくなってきて別業界への転職を考え始めました。そのとき、両親の介護をしっかり出来なかった心残りを克服したいという想いや、もともと困っている人を見るとほっとけない性分もあわせて、介護のお仕事を始めようと思ったのです。
ヘルパー経験も全くない状態でしたので、フランチャイズ契約をしてから3か月ほど、独学で勉強しました。そのフランチャイズの本体は結局何もしてくれず、立ち上げから半年後には消滅してしまうのですが、その間に自分で勉強したことが今に活かせています。
もともとは「福岡南事業所」という名前でフランチャイズ契約をしていました。フランチャイズ契約が消滅してから、名前を変えようと思い改めて考えたのですが、そのころにはご利用者様から“みなみさん”と呼んでもらえるようになっていたので、24時間営業しているというところと合わせて、「みなみ24」にしました。
全然ちゃんと考えてないんですが、ご利用者さんから“みなみさん”って呼んでもらえているのは嬉しいですよね。
依頼がきたときに、簡単に断らないことです。もちろん人員配置の問題など、受けられないケースもたくさんありますが、その場合はほかの事業所を紹介するようにしています。それを続ければ、「みなみさんに聞けばなんとかなる」、という風に思ってもらえます。だから今、新規の依頼が絶えない状態にできているんです。それに、周囲のほかの事業所さんともいい関係を築くことが出来るので、助け合って地域全体で困っているご利用者さんの生活を支援するこが出来るようになります。
そういうやり取りは職員さんたちも見ているので、私生活も含め困ったことは相談してくれる関係を作れていますね。だからこそ長く活躍してくれる職員さんが多かったり、取り組みにも協力してくれるのかな、と思っています。
最初の3か月は利用者0名で、4か月目で初めてのご利用者様が出来ました。ALSの方でしたが、とにかくとても厳しい方でしたね。いろんな事業所がサービスに入っていましたが、どんどん脱落していって、最後まで残っていたのはウチだけでした。(笑)
特に覚えているのは、文字ボードを使った会話をする方だったのですが、最初のうちはなかなか会話が成立しなかったこと。気づこうとする、相手を知ろうとする気持ちがないと駄目だと学びました。当時は夢中で一生懸命やっていたから、意識してませんでしたが、そのご利用者様からそういう力をつけていただきました。
最初の一年間はやっぱりそういうほかの事業所さんがなかなか受け入れられないご利用者様が多かったですね。ただ、そういった方にも誠実に一生懸命向き合えば、認めてもらえるんだな、とこの時期に学びました。
30代が数名いて一番上は60代。40代の主婦の方が一番多いですね。事業所でも私生活の相談をしあったり、和気あいあいとしていると思います。立ち上げ1年後くらいに入ってくれたヘルパーさんが一番長くウチで活躍してくれている方ですね。
みなさんそれぞれ印象的ですが、一人印象的な方をあげるとすれば、立ち上げのときのサ責さんですね。「実際にサービスに入らないと気持ちがわからないからヘルパーの資格を取りなさい」と、そのサ責に言われて取ったんです。最初の3か月仕事がなかった時期にほかの事業所に引き抜かれてしまったのですが、そのときにそのサ責に言われなければ、私がヘルパーの資格をとるのはもっと遅かったかもしれません。(笑)
残念ながら長く一緒に働くことは出来ませんでしたが、その後にケアマネになって事業所を立ち上げたいと相談をもらい手伝ったり、ご利用者様のことで相談をしあったりと今でも関係は続けられています。
目の前のサービスに夢中であまりないんですが…(笑)
ただ、私も50代後半になってきて、いつまで続けられるかわからないな、と考えると、この事業所をたたむときに、職員やご利用者様が困らないようにやり方を引き継いでくれる人を何人か育てないとな、とは強く思います。
求人を見てもウチより高い給料を払っている事業所はないので、このまま急にウチがたたむことになると職員たちは年収が下がってしまう。そうならないように、「みなみさんで働いていた職員さんだったら。」と高い年収を出してもらえるように評判を上げるか、独立して自分で事業所を運営してくれるか、、、そんな職員が出てくれたらいいなと思います。
この地域で困っている人が正しくサービスを受けられる状態であり続けるためにも、ケアマネさんや周りの事業所との連携を図ることも大切です。そんな私のやり方をしっかり引き継いで、このエリアの介護を長く維持してくれる状態にしたいですね。